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奥羽列藩同盟を脱退した秋田藩の裏切りに
庄内藩を主軸とした同盟軍は、羽州街道を北進し秋田討伐。
しかし、この「戊辰戦争」は、新政府側と共に戦った秋田・佐竹氏にとって
多大な犠牲者と、莫大な借財だけを残した…。
今回は舟形→横手までの史跡巡りとなります。 |
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山形県舟形町 「舟形口合戦」
定泉寺
明治元年7月13日の合戦で戦死した
3名の新庄藩士の墓がある。
向かって右側。
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山形県舟形町 「舟形口合戦」
新庄藩士の墓(定泉寺)
明治元年7月13日の合戦で戦死した
新庄藩士3名の墓。
河上政右エ門親房・・・新庄藩半隊司令士
堀彦右衛門長宵・・・新庄藩隊長
小屋春五郎為元・・・新庄藩銃士
墓碑が特定できず
舟形町歴史民族資料館の
お世話になる。
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山形県舟形町 「舟形口合戦」
官軍の墓所案内板
この場所を見つけるのに
少々難儀しました
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山形県舟形町 「舟形口合戦」
官軍の墓所
山形新幹線が側を通る、林の中に
長州藩士1名を加えた4名の
名が刻まれた墓碑がありました
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山形県舟形町 「舟形口合戦」
古戦場跡の石碑
薩長、新庄藩を主力とする新政府軍と
庄内藩を中心とする奥羽同盟軍の
激戦があった所。
小国川を渡河した庄内勢は政府軍を急襲。
白兵戦数刻、政府軍は大敗。
勝利を賀する部下に、庄内軍・酒井吉之丞は、
「まだ、まだ、戦はこれから…」と
戒めの言葉を発している。 |
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山形県新庄市 「新庄攻略」
最上公園(新庄城址)
明治元年7月14日午後1時頃城攻め開始、
午後5時頃には終了。
新庄城開城となる。
写真:道を挟む両石垣は「
表御門跡」
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山形県金山町 「金山峠の戦い」
仙台藩士戊辰戦没碑
明治元年7月11日、新政府軍の長州・桂太郎
率いる一隊は北の森合峠から、薩摩の兵は
東の有屋峠から金山を攻撃。両面からの襲撃に仙台藩兵は
混乱そして潰滅。戦死者数33名。
金山を守備していた隊長・梁川播磨も
無念の死を遂げた。
同盟軍と戦っていた新庄兵は
ここで戦線離脱、新政府側につき
背後より挟撃する。
この戦により、白河救援を秋田討伐に
進路変更した庄内兵は、14日に
新庄城を陥落している。
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山形県金山町 「金山峠の戦い」
仙台藩本営の地
戊辰戦争の折り、金山町の北はずれ、
旧羽州街道森合峠の上り口に
仙台藩兵は本営を置いた。
激戦の地となり仙台勢は壊滅する
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山形県金山町 「金山峠の戦い」
梁川播磨戦死の地
慶応4年7月11日、金山峠の戦いで
負傷した隊長・梁川播磨は
からくも当地・三本松へ逃れてきた。
しかし、官軍に発見され、応戦するも
斬りつけられ、壮絶な最期を遂げた。 |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
横手城跡
横手城跡は、現在横手公園として、
市民の憩いの場。
慶応4年8月11日、仙台、庄内の軍勢が
横手城を攻撃。砲火により城は炎上。
本丸、二の丸共に落城。
城士21名は壮烈な討死をとげた。
二の丸跡に三層の天守閣様式の展望台が
立ち(写真)、内部は郷土資料館と
なっている。
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秋田県横手市 「横手城攻略」
赤坂方面
横手城展望台から赤坂方面を遠望する。
酒井吉之丞率いる庄内藩二番大隊が
布陣した所。
この赤坂の地から、籠城する敵方に
「投降勧告書」を送るが、
守将・戸村大学からの返答無し。
午後4時、戦闘開始
しばし佇立、イメージを楽しむ。
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秋田県横手市 「横手城攻略」
秋田神社
戊辰戦争で戦死した城士21人の霊を
慰めるため、明治12年に、焼け残った
城の資材を再利用して
横手城本丸跡に秋田神社を建立。
写真中A、B、Cは、
横手城攻略時の弾痕である。
拡大写真は以下に掲載。 |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
秋田神社 弾痕A |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
秋田神社 弾痕B |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
秋田神社 弾痕C |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
龍昌院
この城攻めで、横手将兵21名が戦死。
庄内藩一番大隊は横手に残り、
残務整理を担当。
「死者に敵味方はない」と龍昌院に
墓標を建立、横手側の死者を弔う。
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秋田県横手市 「横手城攻略」
龍昌院
墓碑近くに立つ案内板 |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
龍昌院
横手兵士21名の墓碑が並ぶ。 |
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秋田県横手市 「横手城攻略」
旅館平利
この「旅館平利(ひらり)」のご先祖様は、
上記、庄内藩一番大隊が戦死者を
埋葬、回向する際、手配を依頼された。
「費用は当方が負担する」の言葉とともに。
初め疑義の眼差しを向けていた。
「何故、敵兵の死者を埋葬するのか?」
しかし、依頼した庄内藩一番大隊副将の
長沢金剛の「武士に二言はない」の
言葉に「敵ながら感服奉る」と大いに協力。
庄内隊が立ち去った後も、前線まで
野菜などの食料品を送り届けたのである。
後、庄内藩兵が引揚げ横手を通過した際も
心尽くしのもてなしをしている。
戊辰戦争の止んだ一両年の間も、
土地のキノコなど庄内まで送っている。
この律儀者に庄内藩は感状を渡している。 |
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