奥羽列藩同盟を脱退した秋田藩の裏切りに
庄内藩を主軸とした同盟軍は、羽州街道を北進し秋田討伐。
しかし、この「戊辰戦争」は、新政府側と共に戦った秋田・佐竹氏にとって
多大な犠牲者と、莫大な借財だけを残した…。

今回は角間川→椿台(最終地)までの史跡巡りとなります。

川港親水公園

川港親水公園

雨の日の川港親水公園の
側を流れる横手川

この公園のエリアは、
「角間川の戦い」の激戦地であった。
結果は庄内藩を中核とした
同盟軍の勝利に終わる。

角間川港船着場跡

角間川は、江戸時代雄物川水運の
中継基地として栄えた。

左の碑が、その名残を
伝えている。
川港親水公園内にある。

 

 

角間川の戦場の碑

秋田軍はこの角間川の戦いで、
30人を越す戦死者を出す。

その慰霊の碑が
古戦場にたつ。

大川寺

大川寺

進撃してきた庄内軍はここ大川寺に
8/15、本陣を置き、花館攻撃に移る。

八幡神社

 島津新八郎、
8/23の花館の戦いで奮戦するも、
同盟軍側の夜襲で打たれる。

その彼の記念碑がある
八幡神社

 


島津新八郎戦死記念碑

地元有志の方の尽力で、
この記念碑が建立される。

刈和野・本念寺

正面が本堂と思われる。
僅かに見える左手の
石の柵が、
下記の一関藩士の墓所である。

刈和野・一関藩士の墓所

刈和野を守備していた一関藩士を
西軍が襲撃した。白兵戦の末に
敗れた一関藩。
多くの死傷者を出す。

萬松寺の石柱

萬松寺の石柱

秋田県協和町にある萬松寺。
門前に立派な石柱が建てられてある。

萬松寺の入口

シンプルな寺門である。

左手には、しだれ桜が。
戊辰戦争で焼け残ったヒコバエから、
現在のように大きく生長。

大仙市の重要文化財に
なっているような…。

萬松寺の
戊辰戦争戦死者の墓群

この寺は、戦いの中心でも
あった為、仮安置所となった。

両軍合わせて、111名の
犠牲者を出す。

秋彼岸でもあり、
お花が供えられていた。

境・上淀川戦線の戦い

萬松寺の戊辰戦死者の墓所の後ろに
右のような説明板がある。

交 流

戊辰戦争での佐土原藩士埋葬の
御縁で、写真のように
両町の有縁交流提携が
締結されています。

それを受けて、今では
物産品の交互販売が
行われているようです。

椿台古戦場跡

椿台CCのあたりは、
秋田庄内戊辰戦争の最終地に
なります。

ゴルフコースの中に、左のような
碑が建てられています。


浄願寺

秋田・浄願寺

秋田庄内戊辰戦争で、
援軍・鍋島茂昌が
本営にしたお寺です。

昔の面影は
皆無といったところでしょうか…。

全良寺

境内には戊辰戦争で戦死した
薩摩、長州、土佐、肥後等17藩
323基の官軍墓地があります。

墓は、向こう奥の階段を
上った所にあります。

官修墓地の案内板

全良寺・官修墓地の
説明板です。

官修墓地入口

階段を上った平地に
沢山の官軍側の
墓石が並んでいます。

仙台藩殉難碑

西来院から少々離れた、
通り沿いに建っています。

碑は、勝海舟の揮毫

常光院

角館にある曹洞宗の古刹。
その入口です。

戊辰戦役戦没者墓地

常光院内にある、
戊辰関係の墓所。
「二葉より…」で知られる
大村藩の浜田謹吾の墓もある。
(右手奥)

秋彼岸のせいか、
各墓に供花が。


大村藩・浜田謹吾の墓 

彼は刈和野の戦いで戦死。
その襟から

二葉より手くれ水くれ待つ花の
君が為にぞ咲けやこのとき

と記した、母親の書いた
紙片が発見され、涙を誘った。

合掌!

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