春の兆しに、そぞろ、房州まで出掛けてきました。
東京湾を挟んで、対岸に位置する房総をこの季節に毎年訪問します。
房総フラワーラインは、春の陽光をいっぱいに、菜の花、ポピーなど花々が咲き乱れていました。
途中で、大好きな、「史跡巡り」を少々…。

伊能忠敬出生の地

関寛斎の生家へと急ぐ途次
偶然目に入った「伊能忠敬出生の地」。
これは、訪問せずば…、と
進路若干変更の訪問。

彼は、佐原の伊能家へ婿入り。
旧制は小関。
幼少時は苦労されたようですが、
後、伊能家の主となってからは、
彼の「才能発揮」となり、
例の地図測量は、隠居後の大業。

無才の私には、
只管羨ましい限り。

詳細はWikiをご参照!

伊能忠敬記念公園

場所は
千葉県山武郡(さんぶぐん)
九十九里町。
とても広い公園です。

ここが彼の生家跡とか。

石碑

公園内にある石碑。
文字にとても味わいがあり、
写真にしました。

伊能忠敬記念公園の一部

2月の訪問だったので、
草木に寂しさを感じますが、
とても広かったです。

背景の雲に、
山村暮鳥の詩
「空」を
口ずさんでしまいそうです…

「関寛斎の生家」案内板

現在の千葉県東金市、
吉井家に誕生した寛斎。
後、関家の養子となります。

詳細については、wikiをどうぞ。

私は、彼に惹かれて、
以前、冬の陸別を訪問。
当日は、氷点下28℃。
斗満川で水浴した彼を
思い浮かべながらの訪問でした。

極寒の地で、
寛斎は、何を巡らせたのでしょう?

現在の吉井家

広いお屋敷の現・吉井家です。
奥の門の傍で、
草取りをしていた方に
関寛斎のことを尋ねました。

なんと、赤面のいたり、
吉井家(寛斎の実家)
6代目ご当主様でした。
寛斎似の優しい方でした。
写真を撮らせて頂いたのですが、
HP掲載のご許可をいただくことを
忘れたので、今回は
遠慮させていただきます。

洲崎

房州・洲崎台場からの富士山

文化4年、松平定信は、
城ヶ島と洲崎を結ぶ線を、
「乗止め検問線」と呼び、
異国船を追い払うことを命じます。
そして、ここ洲崎に台場を築き、
江戸湾の守りとしました。

快晴のこの日、大和国の歴史を
黙視する富士山は、運良く
泰然自若の景を呈しておりました。

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