松平春嶽の居城・福井城に行ってきました。
近くの一乗谷、越前・織田の故郷「劔神社」にも足をのばしました。

福井城

城内にある建物は福井県庁。
築城は、徳川家康の次男・結城秀康。
幕末には、四賢候と言われた
松平春嶽が住む

福井城の石垣

昭和23年に発生した福井地震で崩れた
石垣の一部をそのまま保存。

福の井

これが「福の井」。
福井県の名の由来でもある。
説明文によると、初代・結城秀康が
福井城を築く以前からあったという。
名井として知られていたとか…。

御廊下橋

本丸と西三の丸御座所を結ぶ「御廊下橋」。
平成20年に復元。

 幕末の藩主・松平春嶽は、本丸を出て、
西三の丸に屋敷を構えていたとか。

政務は本丸の政庁で行うため、
居宅との往復に利用されたようです。

柴田勝家銅像

柴田勝家銅像

北の庄城跡に建つ
柴田勝家の銅像です。

橋本左内墓所

橋本左内の墓所

左内公園内にある
橋本左内の墓所です。

橋本左内の銅像

左内公園にある銅像
橋本左内については、勉強不足の
管理人です。

橋本左内生誕の地

福井藩の奥外科医だった橋本長綱の長男。
天保5年(1834)3月11日生まれ。
福井城下の、現・春山2丁目で生まれた。
産湯井戸跡も残されている。

横井小楠寄留宅跡

龍馬が文久3年5月16日、福井訪問。
その時、藩主松平春嶽と面談後、
小楠宅に赴き、ついで夜半小舟で
対岸の由利の居宅を訪問。
3人は、酒肴を横に歓談しました。

莨屋旅館跡

慶応3年11月、龍馬が福井に赴いた時に
宿泊した城下山町にあった旅館。
龍馬は、ここで、新政府の
財政責任者として由利公正を推薦。

その約束を取り付けるため、この莨屋に
由利公正が訪問する。

この福井訪問の約半月後、
龍馬は京都近江屋で殺害される。

一乗谷遺跡

遠方、桜花の下に
わずかに見えるのは
朝倉館跡の門です。

あたりは「山笑う季節」で
とても長閑でした…。

朝倉館跡

朝倉館跡の門です。
散りかけた桜花がささやかに
色を添えていました。

全て「兵どもが夢の跡」ですね…。

劔神社

越前町織田の里にあるこの神社で
織田信長の祖先が神官を勤めていました。

その子・常昌は、時の越前の守護・
斯波氏の家臣として才能を
見いだされ、尾張の国に派遣。
その後、郷里の織田を名乗り、
信長の時代には、斯くの如き、
全国に雄飛する時を迎えたのでした。

 

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