福島界隈
毎年、東北の山野が芽吹く頃、薫風に誘われて、出掛けます。
今回は、福島に一泊して、それから三陸へ足をのばし、帰路は真っ直ぐ南下。
吾妻スカイラインのドライブを希望する相棒と、二本松の駅で別れて、私は、
福島まで、ローカル列車に乗車。徒歩で、福島史跡を「チョイ巡り」しました。

二本松少年隊の像

二本松駅前には、
写真のような銅像が
建っています。

少年たちは力が弱く
「敵を見たら斬ってはならん 突くのだ」との
訓導を彷彿とさせる銅像です。

二本松少年隊も、白虎隊と同様、
万感胸に迫るものがあります。

二本松駅構内

福島行きの列車到着まで、
10分弱待ちました。
その間の1ショット

写真奥は、東京方面

福島城跡

現在、福島県庁のある辺りが、
福島城跡とされています。
写真は、県庁正面。

写真左手側に、
紅葉山公園、板倉神社があります。

福島城・本丸跡

「知事公館」の近くにあります。

この石碑のみの本丸跡。
少々寂しいですね…

紅葉山公園の説明

 

欅の大樹

紅葉山公園の中程に、
写真のような大木があります。
上記説明板にある
「欅の大樹」なのでしょうか。

独り立ちが出来ず、
支え木に守られています。

板倉神社

福島県庁の東側にある
板倉神社入り口です

板倉神社正殿

3.11の震災で損壊し、
その後新しく建立された
現在の板倉神社

板倉神社の創建は文化2年(1805)。
初代・板倉重昌を祀ったのが
始まりとか。
当初は福島城内に社殿を建立し、
歴代藩主や家臣の
精神的支柱であったようです。

板倉神社説明

板倉神社境内の一角に
写真のような説明板がありました。

文字部分の拡大写真は
下の写真を。

板倉温故会

板倉神社の現在までの
由緒などが記されています。

復興祈念碑

阿武隈川を背にして建つ
復興祈念碑。

撰文は
福島藩主・板倉家第二十代当主
板倉敏和氏。

阿武隈川

板倉神社境内から望む
阿武隈川

金澤屋跡

日産ビルのある辺りが
世良修蔵が宿泊した
金澤屋跡とされています。

客自軒跡

写真中央部の家が、
仙台藩士・瀬上主膳の定宿・
客自軒跡

金澤屋の裏手
直ぐ近くにあります。

浅草宇一郎宅跡

写真、明治病院のあたりが
世良襲撃時、目明かしだった
浅草宇一郎の自宅・
浅草屋跡

長楽寺山門

仙台藩・軍事局がおかれていた
長楽寺。

この長楽寺は明治になり、
一時裁判所として
利用されていたことがあったとか。
由緒ある古刹ですね。

長楽寺裏門

車が停車しているところが、
長楽寺の裏門。

世良はこの裏門から
引き出され、
右手の阿武隈川の
河畔で斬首される。

古関裕而生誕の地 記念碑

長楽寺を後にして
福島駅にもどる道すがら、
写真のような記念碑に遭遇。

福島市大町出身の作曲家・
古関裕而氏の
「生誕の地記念碑」でした。

信夫温泉

温泉宿に到着するには、
この吊り橋を渡らなければ
ならないのです。

楽しい魅惑のアプローチ

渓流

吊り橋途中から
下を見下ろすと、
写真のような景観

南三陸の工事中看板

色々と
思惑のある工事看板、と
ひねくれ者は感じました。

夢の未来に繋がると
良いのですが…

南三陸防災庁舎と工事現場

右手に見える赤い鉄筋が
防災庁舎。

津波襲来の時、
階段の手すりにしがみついて
一命を取り留めた
職員の一人は「第1波の後、多くの仲間が
消えていることに気付いた」と語る。

その心境や…

K-port 外観

俳優・渡辺謙さん経営の
コーヒーショップ。

気仙沼港の近くに
写真のような佇まいで
営業しておりました。
震災復興気仙沼の、
励ましシンボルとか…

キャラメルモカを注文、
美味しかったですヨ

K-port 室内

客が一瞬、引いた後を
狙って、室内から気仙沼港を
1ショット

室内・壁面には
渡辺謙さんの写真が
沢山掲示されてありました

  ページトップ