伏見・大阪

桜の季節に、京都、大阪見物を、企画したのですが、あいにくの低気温で、満開とは参りませんでした。
でも、少々ながらも今年の桜に遭遇できたこと、やっぱり、ハッピー!
観光地とはいえ、外国人の多いこと!、驚きました。
大阪城内で、「天満橋、ドコ!」と突然尋ねられ、また、案内の為、入口の大手門まで戻り。イヤハヤ…

桜

桜テーマの今回の旅。
京の桜を
クローズアップ

宇治平等院鳳凰堂

宇治平等院鳳凰堂

全体を写したかったのですが…
安いカメラで
残念。

教科書などで見ていた、
旧来の堂宇より、
小さめに感じました。

宇治川

宇治川

大きい川でした。

古来より、
藤原氏の別荘・鳳凰堂に足を運んだ
大勢の人々が行き交った橋。

少々味わい深い橋…、
でしょうか。

櫟谷宗像神社
(いちたにむなかたじんじゃ)

嵐山公園より、
櫟谷宗像神社を望む。

 


嵐山の桜

嵐山

嵐山斜面にひろがる、
細やかな桜
(渡月橋より)

桜、少々寂しいですね…

小御所

京都御所・小御所

京都御所内になるこの建物、
あの有名な「小御所会議」の
会場です。

しばらく眺めていました。

一部の人々により、
勝手に国政が
施行されたところ、といった
イメージが強いです。

小御所・説明

小御所説明

天龍寺の紅花三椏

紅花三椏

嵐山・天龍寺境内にあった
紅花三椏。

あまりのかわいらしさに、
ワンショット!

伏見激戦地

伏見口の戦い
激戦地跡

薩長、幕府軍が、
命を賭して激突した場所。

不要に、多くの流血惨事を招いた
戊辰戦争…?

伏見奉行所跡

伏見奉行所跡

鳥羽伏見の戦の時、
新撰組がここ伏見奉行所で
薩長軍と激戦。

現在は、桃陵団地に囲まれ、
写真のように石碑が残る。

 

鳥羽伏見戦場

小枝橋

鳥羽伏見勃発の地・小枝橋付近に
残る石碑。

竹田駅から
徒歩で20分ほど。

不得止、
行きはタクシーを利用しました。

龍馬避難・材木小屋跡

龍馬、避難の
材木小屋跡

船宿・寺田屋を急襲された時、
龍馬は、お龍の機転で逃げたけれど、
この材木小屋跡で
薩摩藩により
助けられる。

その後、龍馬は傷の療養を兼て、
お龍と薩摩まで。
新婚旅行の先駆けとか…

寺田屋

寺田屋

京都伏見の船宿・寺田屋。

お登勢さんが、
ひょっこり格子戸を開け
現れそうな気がします。

寺田屋前の濠河

寺田屋前の濠川

往事の十石舟、 三十石舟の往来を
イメージします。
寺田屋前から眺めています。

京都、大阪の舟運。
龍馬も、何度この舟の
客人になったことでしょう。

千本鳥居

千本鳥居

伏見稲荷神社の千本鳥居。
アングルを変えてみました。

千本鳥居1

伏見神社の千本鳥居

見慣れた千本鳥居。

この写真では、偶々、観光客がソコソコで
写っていますが、
この前後、イヤ~、
こんなものではありません。
マタゾロです。
うんざりしました。

八軒家浜

八軒家浜

ついにやってきました。
この八軒家浜。

十五代将軍・徳川慶喜が
慶応4年1月6日夜、
大阪城を抜け出し、この地にて上船し、
天保山沖まで逃げ、
その後沖合に係留してあった
開陽丸に乗り移り、
沢太郎左衛門を急かして、
大阪を後にしたのです。

この行動に、言葉がありません。

京屋忠兵衛跡

八軒家浜の京屋忠兵衛船宿

写真看板の文字通りの史跡。
船着き場のすぐ傍にあります。

大阪城の石垣

大阪城の石垣

大阪城の石垣は、
スゴイ!の一言。

昔からのこの「石垣文化」には
驚嘆!

記念碑

友好城郭提携記念碑

この大阪城を歩いていたら、
左のような石碑に遭遇。

家康には憚りがありますが、
真田幸村と豊臣秀吉が
取り持つ縁でしょうか…

鉄砲狭間

本丸石垣の鉄砲狭間

笠石(かさいし)と呼ばれる、
銃眼付きの石。

堀に面する石垣には、ほぼ全て、
この笠石が設置されています。

算木積石垣

算木積みの石垣

大阪城で見かけた
算木積みの石垣。

忠霊塔

淀君、殉死者三十二名忠霊塔

大阪夏の陣で
秀頼、淀君と殉死した
人々の忠霊塔が、
写真中央の木立の奥に
ひっそりとありました。

大阪城「奥」の、山里丸にあります。

桜シャワー

嵐山公園内にある
桜のシャワー

桜花を愛でることに
幸せを感じます…

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