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原敬の生家跡・正門 200坪の屋敷だった原敬の生家は、 今はその5分の1程度。 往事は、藩主を迎える「御成座敷」もあったとか。 |
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栗の木 |
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原敬生家 |
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作人館跡 15代藩主南部利剛(としひさ)は慶応2年(1866)、校名「明義堂」を「作人館」と改称。 藩校の機構を修文所(和漢学)、昭武場(武芸)、医学所(医学)の 3部門に分割し、 生徒200余名を養成。 原敬・田中館愛橘など有能な人材を輩出した。 |
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南昌荘 |
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圓通(えんず)神社 |
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原敬遺愛の方形灯龍 原敬の別邸介寿荘にあったものを昭和34年4月10日、 翁本舗の先代・立花正三氏が「介寿荘、庭樹庭石頒布会」で落札した。 立花氏は、説明板も立て、お店(菓子)の外からもよく見えるように展示している。 この灯籠は関西地方の石造りで、盛岡では珍しいとか。 |
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大慈寺 故有って、原敬はここを自分の墓所と決めていた。 私事で恐縮だが、母の実家の傍にあり、 子供の頃よく遊んだお寺でもある。 正面入って左手に原夫婦の墓所がある。 また、ここには原内閣の書記官長でもあった 高橋光威氏の墓もある。 |
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