NHK大河ドラマ・黒田官兵衛のオッカケをしてきました。
ジグザグルートで巡ってきましたが、
官兵衛の妻・光(てる)の実家・志方城に寄れなかったのが、心残りです。

書写山円教寺

中国攻めの最中、
豊臣秀吉は、三木城の別所と
毛利との挟撃を恐れ、官兵衛は、
窮地脱出の策として、
「書写山圓教寺へ本陣を移す」
ことを進言します。

写真は、その会場となった
円教寺の摩尼殿。

ロープウェイで行きますが、
一山境内といった趣きです。

廣峯神社

官兵衛の祖父・重隆は、
備前・福岡から姫路に移り、
広峯神社の御師が配る神符と一緒に、
黒田家秘伝の目薬を売って
財を蓄えたとか。

神社のある廣峯山の標高は
260mほど。
結構高い山で、
昔人の健脚を感嘆しての
登山になりました。

御着城跡

写真は、御着城の本丸跡に
建立された、官兵衛の顕彰碑。

写真右後方の緑の木が
目薬の木です。

御着城跡の説明板

御着城は、黒田官兵衛が
家老として在城していた城です。
城主は小寺政職。

羽柴秀吉の播磨平定の際、
小寺政職は信長に離反し、結果落城。

廃城となり、現在は御着城跡公園

姫路城

「華麗」そのものの城ですね。
現在、大天守保存修理とのことで、
メイン舞台は拝見不可でした。
壁面の白さが大分目立つような…。

官兵衛の頃の姫路城は
陣屋程度ではなかったのでしょうか?
現在のような威容を誇る姫路城は
池田輝政の頃に誕生したとか。

何れにしても官兵衛は、
この姫路城で誕生。

栗山利安生誕地

写真は姫路市内にある
黒田官兵衛忠臣・栗山利安の
屋敷跡。
現在は、灘菊酒造。

姫路城からは
約3km弱離れています。

蛇足ながらこちらで
甘酒を購入。
さっぱりしていてメチャ美味。

妻鹿城址

正面は国府山(こうやま)。
この山頂に、妻鹿城がありました。

官兵衛は、中国攻めの秀吉に
姫路城を譲り、
父親・職隆と
この妻鹿城に引っ越し。

山中には、曲輪跡なども。
この地に官兵衛は2年程在住。

黒田職隆廟

妻鹿の住宅地の中に
ありました。

私評:
父(職隆)あっての官兵衛だったような
気がします。
派手さはないですが、ステキな職隆弟・休夢
共々、官兵衛有岡城幽閉の間
黒田一門の結束に
尽力されたようです。

黒田職隆廟所の説明板

右の写真、判読が難しい時は、
写真上をクリックいただくと、
拡大した写真が表示されます。

元宮八幡神社

黒田職隆廟所近くに
この八幡神社があります。
あの黒田節で有名な
母里太兵衛の生家跡だった所です。

 

英賀神社


司馬遼太郎の 「播磨灘物語」と
深い縁のある神社です。
その昔、三木通秋の居城・
英賀城のあった所。

天正8年(1580)、中国攻めの
秀吉軍の猛攻に
英賀城は落城、城下は、
烏有に帰してしまいました。

静かな神社です

英賀城本丸跡

英賀神社から相当離れた所に
この石碑があります。

英賀城域は相当広かったんですね。
ある方は
「泣けるほど広い」などと
形容されておりました。

英賀城土塁跡

英賀神社境内後方に、
「英賀城土塁」と刻まれた
石碑があります。

播磨三大城の
一つ・英賀城も遺跡としては
写真のような
土塁が僅かに残るのみ。

世の有為転変を実感します。

英賀城の説明板

本丸跡の石碑の傍に
この説明板がありました。

写真上をクリックいただくと、
拡大写真が表示されます。

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