晩秋の色に誘われ
そぞろ上州・権田村、岩櫃城まで…
東善寺山門
東善寺山門
手前には、406号線が走っています。
ご住職・村上様のご活躍は大変なもの。

観音山の小栗邸跡(南面)
完成を見ずして小栗上野介は、烏川畔で斬首。
今は、礎石を残すのみ。

小高用水
古来、小高の部落は水利に恵まれず、水田耕作に難儀。
村人に頼まれた上野介は、慶応四年(1868)四月十四日昼過ぎ
尾根むこうの関沢川を検分、 測量調査し、村人の掘削により完成。
用水はいまも「小栗様が引いてくれた水」として
部落の中を流れ、田を潤し続けている

胸 像
東善寺境内には、小栗上野介と盟友栗本鋤雲の胸像が、
語り合うかのように並んでいる。
生前の容姿を彷彿とさせる、非常にリアルな胸像。
上野介は正面、鋤雲は右側

家臣の墓
塚本真彦をはじめとする家来と
その家族の墓

「家臣の墓」の説明板
官軍と称する「西軍」の無謀さが伝わってくる…。

小栗上野介顕彰碑
小栗上野介顕彰碑
 碑は当時の倉田村長、市川元吉氏が委員長になり、
倉田・烏渕両村の有志から寄付を募って同七年に建立。
碑面の文字は上野介夫人道子の妹の子、法学博士・蜷川新氏の筆になる。
”偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる”

小栗上野介顕彰碑の案内板
事理能力もない夫卒により斬首された
小栗上野介の無念や、如何ばかりか…。

小栗上野介と養子・又一の本墓
東善寺の境内の脇からさかのぼること幾分、
本墓がありました。しばし合掌…

岩櫃山
高崎の方から車で走っていくと、
やがて、岩櫃山の南面、この景色に遭遇。

熊出没の警告板
岩櫃山の登山口に入るとすぐ目に入る
この警告文。
岩櫃城本丸まで14,5分でしたが、道中
熊除けに高歌放吟!

岩櫃城本丸址
ついにやって来ました。
真田ゆかりの岩櫃城!

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