![](img/mihara_aki/mihara_akitakada_dai.gif) |
小早川隆景の魅力に惹かれてからは、三原城、米山寺を是非訪問したいと念願しておりました。
今回、黒田官兵衛と合わせて、遂に実現しました。
ついでにと申しては、叱られますが、父・毛利元就も参拝させていただきました。
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![](img/mihara_aki/miharaeki.jpg) |
三原駅
今は三原駅、昔は三原城。
無粋にも、この城を鉄路は
完全に分断してしまいました。
参考までに、三原市のHPで
「昔の三原城」のサイトがありますが、
その中に、
“三原城本丸跡を明治27年に貫通した
山陽道鉄道(明治36年)”の
写真が掲載されております。
ご参考までに。
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![](img/mihara_aki/tenshudaiato_annaiban.jpg) |
三原城天主台跡への案内板
駅構内のこの案内板に沿って、
天主台まで行きます。 |
![](img/mihara_aki/mihara_tenshudai_ishigaki.jpg) |
三原城天主台跡
築城は、1567年。
城主は当然ながら小早川隆景。
三原城は海に向かって船入りを開き、
城郭兼軍港としての機能を備えた名城。
満潮時には、海に浮かんでいるようにも
見え「浮城」の呼称も。
写真右手に
新幹線の走路が見えます。 |
![](img/mihara_aki/tenshudai_ishigaki.jpg) |
天主台石垣の説明
天主台石垣の
詳細を語る案内板
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![](img/mihara_aki/miharajo_tenshudai.jpg) |
三原城の天主台上
三原駅の構内を通って
二階から登ると、写真のような
風景が広がります。
背景に
桜山が見えます。 |
![](img/mihara_aki/kobayakawajo_setumei.jpg) |
三原城跡の説明
「浮城」の景観、
眺めたかったですね。
歴史の無情を感じます。
写真上をクリックすると、
写真が拡大されます。 |
![](img/mihara_aki/funairi_yagura.jpg) |
船入櫓跡入口の石碑
三原駅のすぐ近くにあります。
水軍を誇る小早川家ならではの
城造りなのでしょうか? |
![](img/mihara_aki/funeyagura_isigaki.jpg) |
船入櫓石垣
この石垣部分も
立派に残されています。
小早川水軍ならではの
この石垣を見ていると、
同時に隆景配下の
「浦宗勝」を思い出します。
この内堀にそった
石垣を眺めながら
船を進めたのでしょう。 |
![](img/mihara_aki/beisanji.jpg) |
米山寺
1235年以来の
小早川家の菩提寺。
三原市郊外にあります。
初代から17代隆景までの
宝篋印塔20基の墓が
整然と並んでいます
その宝篋印塔20基は、
この写真撮影の立ち位置で、
斜め右手後方にありました。 |
![](img/mihara_aki/kobayakawake_hakasho.jpg) |
小早川家墓所
上記した
20基の宝篋印塔がならぶ、
小早川家墓所 |
![](img/mihara_aki/takakage_haka.jpg) |
小早川隆景墓所
小早川隆景の墓所です。
前列右端に位置していました。
写真の上をクリックすると
拡大写真が表示されます。
合掌!
念願が叶いました… |
![](img/mihara_aki/motonari_haka_iriguti.jpg) |
毛利元就墓所参道入口
広島県安芸高田市にある
毛利元就の墓を詣でました。
写真はその入口です。
元就は、郡山全山を
城域にしています。 |
![](img/mihara_aki/hyakuman_issin_sekihi.jpg) |
百万一心の石碑
毛利元就が郡山城築城の際に、
人柱に代えて「一日一力一心」の
大石を鎮めたという
石の拓本を基にした碑です。
礎石に「百万一心」と彫らせ、
これは一日一日を、
一人一人が力を合せて、
心を一つに協同一致して
事を行うことを
教えたものといわれています。
(ひろしま観光ナビより) |
![](img/mihara_aki/motonari_hakasho.jpg) |
毛利元就墓所
毛利元就墓所です。
門扉の向こう中程に
石で囲まれた場所があり
木が立っています。
右側の枯死した木が
毛利元就の墓標とか。
現代の樹木葬でしょうか?
先ほどの入口から
少々歩きます。
合掌! |
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![](img/modoru_btn.jpg) |
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