![奥三河・南信](img/okumikawa_nansin/okumikawa_nansin_dai.gif) |
NHK大河「女城主直虎」にもちょっぴり影響され、そして以前から興味のあった三方原古戦場に立寄り、
秋色に染まる奥三河と、そのまま上に進路をとり、南信(南信濃)の阿智・昼神・飯田界隈に行ってきました。
戦国時代にあって、このエリアの国衆の困惑振りが、今尚伝わってきます。 |
![浜松城](img/okumikawa_nansin/hamamatujo_tensyukaku.jpg) |
浜松城
写真は、浜松城・天守閣です。
徳川家康が、岡崎城からこの地へ
移ってきたのも、
強敵・武田信玄を意識してとのこと。
この城はまた、出世城で、
水野忠邦も拘って、
唐津からこの地に転封願を出しています。
家康以後、堀尾吉晴が
11年程、在城しています。 |
![浜松城・石垣](img/okumikawa_nansin/hamamatujo_isigaki.jpg) |
浜松城の石垣
この石垣は野面積みで
築かれています。
築造は、堀尾吉晴の頃と
いうことですが、確定はされて
いないようです。 |
![徳川家康立像](img/okumikawa_nansin/ieyasu_dozo.jpg) |
徳川家康の若き像
家康の銅像や肖像画は、
年老いてからのものが
多いと言う事で、
この浜松城の銅像は、
敢て、若い日の
徳川家康像にしたとか…。
手にしているのは羊歯(勝ち草)
浜松時代の家康は、
あの三方原の戦で惨敗。
この時、敵方・武田信玄から
戦法の多くを学んだとか。
彼は、後、武田遺臣を
多く雇い入れています。
信玄に対して、思うところ少なからず…、
といったものを感じます。 |
![三方原古戦場](img/okumikawa_nansin/mikatagahara_kosenjo.jpg) |
三方原古戦場跡
三方原台地の一角に
設置されている石碑です。
この地は野戦に適しているようで、
広々とした台地。
武田軍は魚鱗の陣を、
家康は鶴翼の陣をとり両軍の戦闘開始。
結果、家康は這々の体で
浜松城に逃げ帰ります。
城に帰った家康は、
惨敗直後の自画を描かせ、
生涯、自戒したとか…。
あの「顰(しかみ)像」です。 |
![](img/okumikawa_nansin/mikatagahara_setumei.jpg) |
三方原古戦場の説明 |
![](img/okumikawa_nansin/mikatagahara_zusetu.jpg) |
三方原戦いの布陣図
現地に描かれていたものです。
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![井伊谷](img/okumikawa_nansin/iinoyajo_ato.jpg) |
井伊谷城跡
NHK大河で放送中の
女城主直虎の居城でも
ありました。
徳川四天王の一人
井伊直政の故郷でもあります。
彼は勇猛果敢な武将で、
関ヶ原の戦いで、
島津義弘追撃の最中、負傷し、
死を早めてしまったような気がします。 |
![](img/okumikawa_nansin/iinoyajo_tyobo.jpg) |
井伊谷城下
井伊谷城からの俯瞰図 |
![医王寺山門](img/okumikawa_nansin/iouji_sanmon.jpg) |
医王寺山門
長篠の戦いの時に
武田勝頼の本陣となった
お寺・医王寺です。
静謐そのままに、
長篠の戦いの
強者どもをイメージしていました。 |
![](img/okumikawa_nansin/iouji_setumei.jpg) |
医王寺の説明板 |
![](img/okumikawa_nansin/honjinato_sekihi.jpg) |
医王寺山門の石碑
医王寺本堂の傍に
建立された石碑 |
![](img/okumikawa_nansin/katuyori_monomi_yagura.jpg) |
医王寺・展望櫓
医王寺の裏山にある
展望櫓。
(写真が少々小さいですが…)
武田勝頼は、この地にあって、
この櫓で戦況を眺め、
戦闘を指揮したのでしょう…。
遠方に、新東名高速道が
眺望できます。 |
![](img/okumikawa_nansin/suneemon_kessi_sekihi.jpg) |
鳥居強右衛門磔死の碑
愛知県新城市長篠にある史跡。
鳥居強右衞門については、
サイトに詳細に掲載されているので、
説明は省略します。
この林の向こうに
長篠城跡があります。 |
![](img/okumikawa_nansin/katuaki_hakasyo.jpg) |
鳥居強右衛門墓所
新城市にある
新昌寺に
鳥居強右衛門の墓が
写真のように、
立派に建立されています。
合掌 |
![田峯城](img/okumikawa_nansin/taminejo.jpg) |
田峯城
写真右側の紅葉している大木の
陰になって建っているのが田峯城。
田峯菅沼氏の本城で、1470年築城。
北に武田信玄、南に徳川家康、
西に織田信長、東は今川と、
強豪大名に囲まれ、菅沼一族は、
時代に翻弄されます。
凄惨な一族の内乱を生じ、
結果、家康配下の道を歩んだ弟分が
所領を安堵され、後、家康と共に
関東に進出しています。 |
![](img/okumikawa_nansin/taminejo_ryokin.jpg) |
田峯城料金表
料金表は、あまり意味のない
ものですが、
田峯城の文字がほしくて
写真にしました。
受付の方と、
戦国の話で盛り上がり、
楽しい一時を過ごしました。 |
![](img/okumikawa_nansin/singen_haiduka.jpg) |
武田信玄公灰塚供養塔
武田信玄は、肺患を得て、古府中の帰路、
ここ信州駒場で病没します。
その後、この供養塔のある
長岳寺で火葬。
しかし、信玄公は、
「未だ生存」であるとして影武者を
たてます。
重臣・馬場美濃守等が、
お骨にしてこっそり持ち帰ります。
享年53歳
以前より、信玄公が没した
駒場とはどういう場所であったのか
気になっておりましたが、
今回の旅で、その思いが
叶えられました。
静かな山里でした。
この長岳寺は、また、
襖絵が素晴らしいです。
狭い本堂(ゴメンナサイ)でしたが、
周囲を圧倒するばかりで、
言葉がありません。
住職さんから丁寧な説明を頂戴しました。 |
![](img/okumikawa_nansin/fusuma_e.jpg) |
襖絵:冬
このような襖絵が四箇所
あります。
これは、いってみれば
冬バージョン。
他に、春、夏、秋とあり、
いずれも他を圧倒!
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![満蒙開拓平和記念館](img/okumikawa_nansin/manmo_kaitaku_heiwakinenkan.jpg) |
満蒙開拓平和記念館
長岳寺のすぐ傍にありました。
悲しい歴史が
綴られています。
これも歴史の一端です。
展示物を拝見していて、
胸がつまる感覚が…。
言葉がありません。 |
![天竜峡1](img/okumikawa_nansin/tenryu_kawakudari.jpg) |
天竜峡
帰路、天竜峡に寄りました。
折良く、天龍下りの川船に
遭遇。
吊り橋の上からの
ワンショット! |
![](img/okumikawa_nansin/tenryukyo.jpg) |
天龍峡の奇岩
写真右側のそそり立つ岩が
「龍角峰」。
天龍川を挟んだ対岸からの
1ショットです。
この右手に吊り橋があります。
天龍川の水源は
諏訪湖とのこと、
知りませんでした。
大恥です… |
![香嵐渓](img/okumikawa_nansin/korankei_koyo.jpg) |
香嵐渓の紅葉
ついで、ということで、
帰路、香嵐渓にも
寄ってきました。
紅葉の見頃は、まだこれから…、
といった趣ですが、
でも写真のように、
綺麗な紅を見せてくれる
木々もありました。
渓流があり、
紅葉があり、
日本風景、バンザイ! |
![](img/okumikawa_nansin/uraniwa_koyo.jpg) |
宿の紅葉
宿泊した宿の
紅葉です。
場所は茶臼山高原。
標高1200mとか。
宿泊翌朝の車は
霜が降りて
真っ白でした。
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