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当方所属の「戊辰戦争研究会」の佐賀集会を機に、
鍋島佐賀藩の史跡を巡ってきました。

江藤新平誕生地

佐賀藩下級武士に生まれた
江藤新平の住居跡。

江藤新平の墓

佐賀城近くにある
本行寺に埋葬されています。
墓域は、思っていたよりも
広く、りっぱでした。

合掌

溝口番所跡

佐賀藩も二重鎖国などと
言われていた藩です。
長崎街道の東口に
この番所跡があります。


モルチール砲
(武雄・蘭学館)

鍋島藩のアームストロング砲
の全ては、この鍋島武雄領の
領主・鍋島茂義からスタート
したとしても過言ではないと
思います。
写真は1835年、武雄を
訪問した高島秋帆から
寄贈されたもの。

藩祖・鍋島直茂の墓所

佐賀市の高伝寺に
墓所があります。
龍造寺隆信討死に当たり
殉死しようとしましたが、
山本常朝の父に
諫止されます。

「葉隠」のモデルと
される方です。

大木喬任誕生地

佐賀城近くの広大な土地が、
彼の誕生地です。

正面はその石碑です。

 

大隈重信誕生地

正面、白壁の家で
大隈重信は誕生。

この地も、やはりお城近くに
ありました。


精錬方跡

幕末当時、佐賀藩のブレーン
が集合した場所です。

田中久重・石黒寛次・
中村奇輔などの方々を
想起しながら、
しばし佇みました。

副島種臣誕生地

佐賀城にほど近い所に
ありました。

漢学的素養が抜群で、
李鴻章も感服した
一幕があったとか。

多布施の反射炉跡

嘉永6(1853)年、浦賀
への黒船来航に、幕府は
急遽江戸湾防備のため、
鉄製大砲鋳造を
佐賀藩に依頼しました。
そのため、佐賀藩は新規に
多布施反射炉を築造。

品川砲台などは、佐賀藩の
この多布施での築造。


築地の反射炉跡

日本で最初の洋式反射炉。


幕末佐賀藩の産業革命の
全てはここから始まった。

山本常朝の誕生地

山本は「葉隠」の口述者

この方の父・
山本神右衛門重澄は
鍋島直茂に仕えています。
「武士道」のモデルは
直茂とも言われています。

田代陣基の墓

佐賀市の瑞竜寺に
ありますが、このお寺さん
「端然」という形容が
ピッタリの雰囲気でした。

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