寒河江市内

中村彰彦氏の「闘将伝」に魅せられて、
立見鑑三郎を追いかけ、寒河江まで出掛けてきました。

臥龍橋

臥龍橋

ご覧のように、現在は立派な橋が
架けられています。
小説では、橋は太鼓橋になっています。

鑑三郎等は、
橋の右手斜面から瞰射したのでしょう。
官軍は身を隠す地物もなく、
尾撃を断念。
鑑三郎等は、その先の海味(かいしお)で
休息、この日初めての食事を
とったと記されています。

長岡山戊辰戦役古戦場

長岡山戊辰戦役古戦場石碑

長岡山の入口付近に
写真のような石碑が
建てられておりました。

 

長岡山古戦場

長岡山頂上

時は慶応4年9月18日
この長岡山に庄内隊と桑名隊が合流、
守備戦線を築きます。
霧が晴れると再び猛攻が始まり
両隊は防衛戦を展開。

午後には、新政府軍に包囲されます。
庄内隊等は、新政府軍の包囲網を突破、
臥龍橋へと向かったのでした。

長岡山の今、長閑な春を
迎えていました。

本願寺

本願寺

桑名藩が、この地・寒河江に
陣を敷いた時の
宿泊所になった寺。

陽春院

陽春院

 <桑名藩士の墓所>
 戊辰の役にて戦死した
桑名藩士等18名と
唐津藩士白水良次郎が
埋葬されています。

 

桑名藩士墓所

桑名藩士墓所

賊軍とされた桑名藩士や
庄内藩士等の遺体は、
この地でも、放置されていたが、
陽春院の住職が
慈悲心と英断より引き受け埋葬。
七回忌にあたる明治8年7月
旧藩主松平定敬と旧藩士24名によって
境内に墓碑が建立されたとのこと。

墓碑には、立見鑑三郎の弟・
町田鎌五郎の名も見えます。

合掌!

陽春院墓所説明

陽春院にて

寒河江市
指定史跡の説明板

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