佐賀、長崎と続いて、島原へも若干足を伸ばしてきました。
龍馬上陸の地は、島原市中より南にあります。

龍馬 長崎初上陸の地

1864年2月21日、払暁
龍馬はこの地に到着。

別当中村家屋敷門

龍馬が上記の地に到着
した後、この中村家で
休息をとる。

別当中村家屋敷門

門前に立つ碑。

龍造寺隆信討死の地

1584年、有馬・島津の
連合軍との戦争・
「沖田畷の戦」で、
龍造寺隆信はこの地で
討死した。

写真はその石碑

墓は、佐賀市の高伝寺にある。

島原武家屋敷

島原城の西に武家屋敷が
あり、島原城の築城と
ともに形成された。


7つの町筋は碁盤の目の
ようにできており、
ここには扶持取り70石以下
の徒士屋敷が690戸
あったとか。

島原城

 島原城は1618年から
松倉重政が、7年の歳月を
費やして築いた。
白亜五層天守閣を中核として
大小50の櫓を要所に配し、
これを囲む矢挟間塀の
長さは2233mという規模で、
安土桃山時代の
築城様式をとりいれている。

  ページトップ