信濃路(その1)

以前から訪ねたかった哀愁漂う武将・福島正則。
信濃路の秋に誘われて、やっと実現しました。

他には、帰路、雨宮の渡し、姨捨の棚田に寄ってきました。

岩松院

福島正則の菩提寺

岩松院

長野県小布施にある
岩松院です。


福島正則公霊廟の案内板

福島正則公霊廟の
案内板

岩松院の入口右側に
掲示されている案内板

岩松院本堂

岩松院本堂

山門をくぐって間もなく、
正面に見える本堂


案内板

寺内の案内板

この寺の見所としては、左記以外に
本堂中央(大間)の天井に
描かれている
鳳凰図もあります。  

葛飾北斎89歳の時に
描いた絵とか。

福島正則公霊廟

福島正則公霊廟

本堂裏手にある霊廟。

霊廟

霊廟内

霊廟正面まで足を運ぶと
霊廟内を拝見できます。

供花に、公に対する
寺の思いを感じました

居宅

福島正則公居館正門

跡地西側に写真のような門が
ありました。
多分正門だったのでしょう。

入口右手に
案内板が見えます。

福島正則館の石垣

西面石垣 

南面、西面には
高さ1~2mの石垣が
積まれています。
この石垣、
安政年間(1854~1860)に
改修されたもの。
正則時代のものではないとか。

 正則時代の遺構は、
館跡の北東隅の
民家の庭に
土塁が残されています。

南面石垣

南側の石垣です。

結構広い屋敷跡です。

 

西側正門脇の案内板

在館年数、数年とか…。
しかし、
「民政に尽くした功績が大きい」
と記されています。

不運な武将であったが、
「民政への功績」は
私が惹かれる所以でもあります。

高井寺

正則の所領没収後、館跡に建てられた
高井寺(こうせいじ)本堂

館跡からみる南の風景

晩年の福島正則は
失意のなか、朝夕
眺めたであろう南面風景。

アングルが少々難で、
すみません。

雨宮の渡し

永禄4年(1561)の9月9日夜半、
妻女山に布陣していた上杉謙信は、
武田軍の炊飯の煙を見て夜襲を察知。
1万3千の兵を率いて
雨宮の渡しを人馬ともに声なく渡り、
信玄の本陣を突きました。
その時の渡し場です。

現在の千曲川は、
北方に少し移動しているので、
かつての面影はありません。

雨宮の渡しの説明図

遺跡の説明板の横に
左のような図が掲示されてありました。

姨捨・棚田から
善光寺平を望む 

時は、10月半ば。
もう、稲刈りも済んだ
姨捨の秋。

遠方奥は、
川中島の古戦場になりました。

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