東北、郷里への別ルートの通過点でもある多賀城なのですが、
今まで、なかなか立ち寄りを実行できずにおりました。
今回「末の松山」に惹かれ、ついでに多賀城跡にも寄ってきました。

寶国寺門前

歌枕・「末の松山」の地と
されている多賀城市寶国寺近辺。

この門前後ろの松の辺りが、
「末の松山」と言われています。
訪問のきっかけは、下記の和歌。
「契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山なみこさじとは」
清原元輔(後拾遺和歌集)

※清原元輔は清少納言の父

3.11地震の津波の時も、
辛うじてこの丘を
波は越えることがなかったとか…。

古今集・東歌

「末の松山」の史跡の傍にあった、
歌碑ですが、
「末の松山」の波、とは一体
何なんでしょう?

実は、あの869年の貞観大地震の
津波だったのです。
当時、多賀城下でも大勢の人々が
被災しています。
しかし、「末の松山」を
波が越えることは無かったんですね。

「末の松山」説明板


末の松山

ここがその史跡です。

少々小高くなっています。

陸奥国府・多賀城跡

外郭南門跡から
政庁跡を望む

写真中央の赤土部分の
上辺が政庁跡です。

詳細は下記へ
宮城県多賀城跡調査研究所

政庁復元模型

多賀城のほぼ中央に、政庁は
位置しているとか。
約100m四方を築地で囲まれ、
中央に正殿、
その東西に脇殿を配置。

屋根は瓦葺き。

政庁への道

南門をくぐり、
真っ直ぐ歩くと(徒歩:6分ほど)
やがて正面平地に政庁跡が。
現地に立つと
敷地がとても広いです。

多賀城跡の概略地図

詳細は前出のサイトへ

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