菊花に誘われて、浦賀を散策 
浦賀奉行所跡
現在は、住友重機械工業の社宅になっている所。

浦賀奉行所跡の案内板
社宅の前に、上記の案内板がありました。

浦賀奉行所模型
浦賀コミュニティセンター分館に展示されている
浦賀奉行所の模型

船番所跡
現在の浦賀病院辺りなのでしょうね。
 番所では、江戸へ出入りする船の荷改め(検査)を行いました。
 江戸中の経済を動かすほどの重要な任務を負っていたようです。

中島三郎助の案内板
東林寺の三郎助の墓所そばに掲示されています。
この三郎助の写真は横浜の下岡蓮杖によるもの。

中島三郎助の墓
慶応4年10月16日付けの便りに、
自分亡き後、斯くの如き墓石を、と
手紙にそのイラストを記し、依頼している。
遺言通りの墓碑のようです。

能満寺の会津藩士墓所
無縁仏として扱われたのでしょうか?
墓石に、その魂が…、という心地で
参拝させていただきました。
西徳寺の会津藩士墓所
西徳寺境内の少々小高い裏山にあります。
合掌!
徳田屋跡
東浦賀の船着き場の直ぐ側に
この碑が建てられています。

徳田屋跡案内板
幕末、この旅館に止宿した著名人、
結構多いですね。

浦賀道
現在の浦賀道(一部)
浦賀道案内板
往時の賑わいを想像します。

浦賀水道
現在の浦賀水道の写真。横須賀腰越界隈より
後方は房総半島。
浦賀造船所跡
かつて、中島三郎助が鳳凰丸を
建造した所
若松屋跡
会津藩が、三浦半島の警備(1810年~1820年)に従事したとき、
屋号「若松屋」の高橋勝七が世話を。
現在もその子孫の方が住んでいます。
浦賀の渡し
ここは西浦賀の渡し場です。
乗船の時、船がいなかったらボタンを押して待つ。
矢印の青緑色の屋根は、中島三郎助の菩提寺・東林寺。

浦賀の渡し船
場所は、東浦賀の船着き場。
下船して左手直ぐに、徳田屋旅館があった。

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