米沢米坂線沿い

鼠ヶ関から寒河江を経由して米沢に入りました。
米沢は上杉城下で史跡も沢山あるのですが、今回は会津藩士・堀粂之助の墓参をと竜泉寺に寄りました。
その後、米坂線沿いに西進し、越後大島で290号線を南下。
梨の木峠、坪穴、夏井など米沢兵と西軍の戊辰古戦場跡を偲びながらのドライブコースでした。
新発田経由で新潟へ。

龍泉寺

龍泉寺(米沢)

温厚篤実の人、
会津藩士・堀粂之助が
眠る寺です。

写真のように、閑静なお寺でした。
 


堀粂之助の墓所説明

堀粂之助の案内板

米沢藩は8月24日に藩論を
「恭順」と決定していました。
故に、粂之助が藩主・松平容保の
命を奉じ、米沢藩に援兵を
求めても…、無念。

旅籠「越後屋」の主人に金子を
与えて後事を託し、
一室で自刃して果てました。
享年31歳。

神かけて 誓ひしことの かなはずは  
ふたたび家路 思はざりけり

(堀粂之助辞世の句)

粂之助墓所

会津藩士・堀粂之助墓所

一日も早く墓参を!と
念じておりましたが、叶いました。

「…家路思はざり…」に、
封建時代の主従とは…、
粛然とします。

合掌!

関鉄之介潜匿記念碑

関鉄之介潜匿記念碑

この石碑は、関川村の
高瀬温泉にあります。

見附市出身の医者入沢達吉氏は、
この地を訪問した際、
関鉄之助を偲んで
作詩撰文し、慰霊をされたとか。

関鉄之助捕縛の地は、
この地ではなく、
隣町の湯沢温泉にあります。

関鉄之介潜匿記念碑とその案内板

関鉄之介潜匿記念碑と
その案内板

関鉄之介捕縛の地の案内板

関鉄之助捕縛の地にある
案内板

場所は、関川村の
湯沢温泉にあります。

関鉄之介就縛の地碑

関鉄之助就縛の地
全景

湯沢温泉の一角に
建立されています。

豪農渡邉家

豪農・渡邉家正面

渡邉家は、廻船業や酒造業、
新田開発などで富をなし、
財政難に苦しんでいた米沢藩に
幕末まで融資をして、
米沢藩勘定奉行格の
待遇を受けていました。

3,000坪の敷地に500坪の大邸宅、
とにかく広い!

渡邉家見学受付入り口

渡邉家見学受付入口

渡邉家は、現在平成の大修理中
ということです。
期間は平成26年12月までとか。

詳細はサイトがあるので、以下に
そのURLを記します。ご参考に。

http://www.watanabetei.com/

渡邉家の蔵

渡邉家の蔵々

邸内の土蔵は、現在六棟とか。
米蔵、味噌蔵、金蔵、宝蔵、
新土蔵、裏土蔵

慶応3年の屋敷図には、
12の蔵が有ったとのこと。

渡邉家刀傷跡

西軍による刀傷?

少々ピンボケですみません。
柱の刀傷は、多分、
薩摩藩士によるのでは?と推察。

戊辰戦争の時、渡邉家は
薩摩藩兵の陣所になったとか。

彼等がこの地に進撃してくるまで、
米沢藩の本陣でもあったのです。

関川村の景色

関川村の風景

関川村の高瀬温泉に宿泊しました。
角部屋だったので、そこからの1ショット。

向こうに聳えているのは
磐梯朝日国立公園内にある、
飯豊山などの山々でしょうか。

手前の川は荒川です。

梨の木峠激戦地

梨ノ木峠激戦地

慶応4年8月10日、坪穴、夏井で敗れた
米沢藩兵は、この地に集結し、西軍と対峙。

しかし、薩長の精鋭部隊の攻撃を前に、
抵抗らしい抵抗も見せず、敗走。
あっけない幕切れであったとか。

残念ですね。

米沢様

米沢様

胎内市坪穴にある米沢様。
この地で戦死した
米沢藩兵を供養するため、
またはこの地で戦死した者を
火葬した場所、などの由来があります。

訪問したのは、桜の季節の花盛り…。
田起こし風景も散見され、
田園風景を満喫。

この場所を特定するのには、
時間を要しました。
案内板は一切ありませんでした。

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